こんばんは!
もう、「いい人」を目指すのはやめたチェルです⭐️
漫画の主人公のように生きたいと思っていた
私は良くも悪くも影響されやすく、小さい頃から漫画が大好きだったので、漫画の主人公のように生きたいと無意識に思っていました。
- 誰からも好かれる
- 仲間が沢山
- 特殊能力がある
- 勉強ができる
- 運動も得意
- 悪口は言わない
そんなスーパーマンになりたかったのです。
なれるか!!w
と気づいたのはだいぶ大人になってからで、とにかく空回りしていたように思えます。
「誰にでも好かれる」って結局誰にも好かれてない
「誰にでも好かれる人」になりたかったのですが、誰にでも好かれる事は非常に困難でした。
だって「誰にでも好かれる人」って結局「誰にも害のない人」、むしろ「いてもいなくても困らない人」なのではないでしょうか。
それって結局誰にでも好かれているわけじゃなくて相手にとって「誰でもいい」んです。
だって必要な人じゃないから。
「いい人」って結局「都合のいい人」?
「誰かの役に立ちたい」と思って始めた人助けも、最初こそ感謝されるも段々と慣れてそれが普通になって「当たり前」に思われます。
そして最初は「手伝ってくれるだけで助かる!」だったのが「もっとこうしてくれたらいいのに…」から、「なんであの人はこうしてくれないんだろう」になって、「こうしてくれないなんてありえない!」と加速して、最後には「あの人(私の思い通りにならないから)サイテー」になったりします。
人間て怖い。
欲求って怖い。
「誰にでも好かれるいい人」って結局相手にとっては「自分にとって都合のいい人」なのかもしれません。
例えば飲み会で自分は全然飲んでいないのに割り勘になった場合、いつもは場の雰囲気を壊すと思って甘んじていましたが、ある日耐えられなくなって
「私は全然飲んでないから少なめでいい?これくらいね!」
って言ってみたら誰にも反対されなかったし、むしろ拍子抜けするくらい快く受け入れてくれました。
今まで悩んでいた時間はなんだったんだ…。
悩みすぎて行きたくなくなったりしてましたw
お酒があまり強くなく、ソフトドリンクもそんなに飲む必要がないし、飲まない代わりに食べるにしても限界があったのでいつも飲み会で割り勘になることがストレスになっていました。
やりたいことが沢山あるから飲み会はあまり参加せずになるべくランチで集まったりして節約していたので、他の人のお酒代まで払うことが正直嫌でした。
少なく払いたいと言って反対される会には参加しなければいいのです、
だって人の飲み代を払わなきゃいけない理由なんて全くないから。
以前ネットで見た割り勘の仕方で感心したのは飲みの席に箱などを置いて飲む人がそこにお金を入れて会計時にその金額を引いた金額で割り勘をするという方法でした。
飲む方も気兼ねなく飲めるし、飲まない方もいくらになるのかヒヤヒヤしなくて一石二鳥です。
まとめ
結局私は「誰にでも好かれるいい人」になりたかったんじゃなくて、ただ「自分が一緒にいて心地いい人と心地よい環境で楽しく生きたい」のだと気付きました。
対外的なことを気にしてもさっぱり幸せじゃありません。
無理して人に合わせると結局疲れて不満に思ったり、その人に勝手に失望してイライラしてどんどん嫌な自分になってしまいます。
挙げ句の果てには感覚が麻痺して何が良くて何が嫌なのかわからなくなってしまって自分が自分じゃなくなってしまいます。
そんなの全く楽しくない。
勿論、人様に迷惑をかけたいわけではないのでその辺はある程度折り合いをつけながら、嫌なことから距離を置いてばかりだと成長しない可能性もあるので、自分に必要なことなのか不要なことなのか見極めながら、所属する場所や一緒にいたい人を選んでその場所やその人に精一杯の敬意を払って付き合えばいいのです。
きっとその人たちはあなたにもあなた以上の精一杯の敬意を払って接してくれるはずだから。
だって好きな人には精一杯尽くしたいと思うし、人生うまくいって欲しいし、一緒に笑っていたい。
あなたをただ良いように使おうとする人とは付き合う必要はないのです。
もっと一緒にいて楽しい人が絶対にいます。
なんだかもやもや捨ことが続いたので振り返りながら書いてみました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
では、また⭐︎